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5年間のひきこもり(不登校)から復帰した子供が書いた作文「私が学校に行けなかった理由」
1.5年間の「ひきこもり」から復帰! 2.小5~中3の2学期まで不登校だった! 3.不登校になったキッカケ 4.親や学校が何も言わなくなった 5.中学3年の担任の家庭訪問が楽しみに 6.初めて日記に返事を書いた! 7.クラスの仲間の手紙にも返事を書いた! 8.学校に行くと決めたけど・・・ 9.何で私を待ってくれないの? 10.1人ひとりが自立しているクラス! 11.先生!みんな!ありがとう!
私のクラスで5年間の不登校から復帰したSさんという子供がいました。
Sさんは、総合学習の時間に「自分の不登校復帰体験」を題材として、作文を書いたり、レポートにまとめたりします。
※ レポートは市の作品展に出展され「市長賞」をいただきました。
本来であれば、他人に知られたくない「体験」や「気持ち」を作文やレポートに書いたと言うことは、「不登校から復帰」したことがSさんの自信となっている証拠に他なりません。
以下がSさんの作文です。(ほぼ原文ママ)
私は小学校5年生から、中学3年生の3学期まで学校に行くことができなかった。
この5年間はほとんど外に出ず、昼と夜が逆転している生活を送っていた。最初は家族も「学校に行くように」と言っていたが、日が経つにつれ何も言わなくなった。
私自身も「学校に行かなくてはいけない」と思いながらも、行くことができない自分にイラ立ちをを覚えていた。そして、そのイライラをを家族にぶつけていた。
そんな負い目から、少しずつ家族と話すことがなくなり、ついには家族と会わないように毎日を過ごすようになった。
小学校4年生のときにAちゃんと同じクラスになり意気投合した。何をするにもいつも一緒で、朝、休み時間、校外学習など、どんなときにもAちゃんとしか一緒にいなかった。
私とAちゃんは5年生のときも同じクラスになった。私は休み時間になるとAちゃんの所に行っては他愛もない話をしていた。
あるとき、Aちゃんの所に行くとAちゃんは他の友達と話をしていた、その中に入って一緒に話をしていたが、Aちゃんは私に話かけてこなかった。私は「Aちゃんが私をさけているのかも」と思った。
次の休み時間はAちゃんの所には行かなかった。それでも、Aちゃん達は楽しそうに話をしていた。たまに、私をチラッと見て笑っているような気がした。私はバカにされた悔しさと、Aちゃんに裏切られた悔しさで学校に行くのが嫌になった。
次の日、体調が悪いと母に嘘をつき学校を休んだ。
夕方、Aちゃんが明日の予定を家に届けてくれた。でも、私はAちゃんに会うことができなかった。そして、次の日も、また、次の日も学校を休んだ。
担任の先生が家にお見舞いに来てくれたが、先生と会うこともできなかった。そのうち、Aちゃんも家に来なくなり、私は完全に学校に行かなくなった。
そして、私はそのまま5年間の間、ほとんど外に出ず「自分の部屋」でネットやゲームで毎日をすごした。最初のうちは先生が「会いたい」と言ってくれたが、そのうち、先生たちは「会いたい」と言わなくなった。
中学に入ってからは、親とも話をしなくなり、会う回数も減った。もちろん、中学1年生と中学2年生のときの担任とは会っていない。親も私のすることには何も言ってこなかったので、私は好きなときに起き、好きな時に食べ、好きな時に寝る生活をしていた。
中学3年生のとき、担任の先生が「日記帳」や「宿題」、「掲示物」を持ってきた。
「私もクラスの一員だからみんなと同じようにやるべきことはやってもらいたい!」
担任の先生がそう言っていたことを母親から聞かされた。
はじめは何にもやらなかったけど、先生の書いてくる日記は読んでいた。私が返事を書かなくても、先生は毎週水曜日に日記を書いて届けてくれた。日記には「先生の事」「クラスで流行っている事」「クラスメイトの事」などいろいろな事が書いてあった。
私は日記を読むのが楽しくなってきて、先生が家に来る時間には2階の階段で待っていた。そして、先生と母親との会話をこっそり聞いていた。
先生が私の誕生日に「おめでとう」と書いてくれた。私も勇気を出して、先生の誕生日に「おめでとう」を日記に書くことにした。
「先生、誕生日おめでとうございます」
たったこれだけの言葉を書くのに1時間もかかった。初めて日記に返事を書いたのは夏休みだった。先生は夏休みも家に来ていたので母親を通じて日記帳を渡すことができた。
次の日記に先生からのお礼のコメントが書いてあった。それ以外はいつもと同じような内容だったので私は「ホッ」とした。
それから、私は少しずつ日記に返事を書くようになった。それとほぼ同じ時期に「Aちゃん」や「Bちゃん」「Cちゃん」からの手紙を先生が持ってきた。その手紙には「私のことを心配していた事」が書かれていた。
私が学校に行かなくなってからは、(小学校の)担任の先生が「迎えに行ったりしちゃダメと言った事」や「登校刺激を与えないようにと言った事」などが書いてあった。
そして、今の先生は、「手紙を書きたかったら書いていい!」「会いに行きたかったら行けばいい!」と言ってくれているとも書いてあった。Aちゃん達が私を心配してくれていた事を知ってとても嬉しかった。
先生と日記の交換が出来るようになった。すると、先生が「英語」と「漢字」の勉強を進めてきた。私も進学を考え始めた頃だったので、先生のつくったプリントや単語練習、漢字練習をやるようになった。
また、先生に勧められ「クラスの仲間との日記交換」もすることになった。
みんなは、「メッセージ」や「趣味の事」「進路の事」「好きな芸能人の事」など、いろいろな事を書いてくれた。この頃には、私も自分の事をハッキリと書けるようになっていたので、自分の思った事を日記に書いた。
この頃、私は「みんなの気持ち答えたい」と思うようになっていた。
「明日から学校へ行くぞ!」
登校を決めてから一週間が経ってしまった。
「明日こそは絶対に行くぞ!」
寝る前には思うのだが、翌朝、目が覚めると「登校への気持ち」は弱くなり、自分に言い訳をしてしまう。
「今日は体調が悪いから仕方ない!」 「明日からにしよう!」
ある日の朝、先生が私の家に来た。
「後回しにしないで、今から学校へ行こう!」
こう言った先生は「少し怒っているよう」にも見えた。先生の「少し強い誘い」に私はも勇気を出して学校へ行く決心をした。
教室に行くと女子の友達が私の所に来た。何を話していいか分からず、まごまごしてしまった。その時、次のような気持ちが頭をよぎった。
「また、仲間はずれにされるかもしれない・・・。」
そんな時、Hちゃんがみんなに「ゆっくりSちゃんの話を聞こうよ!」と言ってくれても助かった。
次の授業は「理科」で休み時間に理科室に移動しなければならなかった。心配をしていたら、友達が私に「一緒に行こう!」と声をかけてくれた。
しかし、私がノロノロしていると「先生に怒られるから先に行くね!」と私を置いて行ってしまった。
「何で私を待っててくれないんだろう。」 「私は嫌われているのかもしれない。」
そう考えてしまったが、コレは間違っていた。クラスのみんなは1人ひとりが自立していたのだ。「嫌い」や「好き」ではなく、お互いに尊重し合っていたのだ。だから、その時にしなければいけない選択をしているダケだった。
私は小学校の時、常に「1人の友達」といて、その友達以外とは話をしなかった。しかし、このクラスには、「そんな人」は1人もいなかった。だからといって、みんなの仲が悪い事はない。逆に小学校の頃より、みんなの仲が良いと思った。
クラス全員が親友であり、クラス全員が大人であり、クラス全員が自立していた。だから、徳前、私がクラスに入って来ても昔から「そこにいた」かのように接してくれていたのだ。
私は「自分が嫌われているんじゃないか?」と思うことを止めることにした。そして、自分に自信を持つように意識するようにした。
中学3年生の最後の1ヶ月半ダケでも学校に行くことができて本当に良かった思う。先生やクラスのみんなのおかげで、自分に自信が持てたからだ。
この1ヶ月半により、私は「高校でもガンバれる!」と思えるようになった。
先生!本当にありがとう!
クラスのみんな!本当にありがとう!
このクラスは最高のクラスでした!
私はこのクラスだから、みんながいたから不登校から復帰できました。
これから、高校に行ってもお互いにがんばりましょう。
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不登校になったキッカケと復帰したキッカケ
1.5年間の「ひきこもり」から復帰!
2.小5~中3の2学期まで不登校だった!
3.不登校になったキッカケ
4.親や学校が何も言わなくなった
5.中学3年の担任の家庭訪問が楽しみに
6.初めて日記に返事を書いた!
7.クラスの仲間の手紙にも返事を書いた!
8.学校に行くと決めたけど・・・
9.何で私を待ってくれないの?
10.1人ひとりが自立しているクラス!
11.先生!みんな!ありがとう!
1.5年間の「ひきこもり」から復帰!
私のクラスで5年間の不登校から復帰したSさんという子供がいました。
Sさんは、総合学習の時間に「自分の不登校復帰体験」を題材として、作文を書いたり、レポートにまとめたりします。
※ レポートは市の作品展に出展され「市長賞」をいただきました。
本来であれば、他人に知られたくない「体験」や「気持ち」を作文やレポートに書いたと言うことは、「不登校から復帰」したことがSさんの自信となっている証拠に他なりません。
以下がSさんの作文です。(ほぼ原文ママ)
2.小5~中3の2学期まで不登校だった!
私は小学校5年生から、中学3年生の3学期まで学校に行くことができなかった。
この5年間はほとんど外に出ず、昼と夜が逆転している生活を送っていた。最初は家族も「学校に行くように」と言っていたが、日が経つにつれ何も言わなくなった。
私自身も「学校に行かなくてはいけない」と思いながらも、行くことができない自分にイラ立ちをを覚えていた。そして、そのイライラをを家族にぶつけていた。
そんな負い目から、少しずつ家族と話すことがなくなり、ついには家族と会わないように毎日を過ごすようになった。
3.不登校になったキッカケ
小学校4年生のときにAちゃんと同じクラスになり意気投合した。何をするにもいつも一緒で、朝、休み時間、校外学習など、どんなときにもAちゃんとしか一緒にいなかった。
私とAちゃんは5年生のときも同じクラスになった。私は休み時間になるとAちゃんの所に行っては他愛もない話をしていた。
あるとき、Aちゃんの所に行くとAちゃんは他の友達と話をしていた、その中に入って一緒に話をしていたが、Aちゃんは私に話かけてこなかった。私は「Aちゃんが私をさけているのかも」と思った。
次の休み時間はAちゃんの所には行かなかった。それでも、Aちゃん達は楽しそうに話をしていた。たまに、私をチラッと見て笑っているような気がした。私はバカにされた悔しさと、Aちゃんに裏切られた悔しさで学校に行くのが嫌になった。
4.親や学校が何も言わなくなった
次の日、体調が悪いと母に嘘をつき学校を休んだ。
夕方、Aちゃんが明日の予定を家に届けてくれた。でも、私はAちゃんに会うことができなかった。そして、次の日も、また、次の日も学校を休んだ。
担任の先生が家にお見舞いに来てくれたが、先生と会うこともできなかった。そのうち、Aちゃんも家に来なくなり、私は完全に学校に行かなくなった。
そして、私はそのまま5年間の間、ほとんど外に出ず「自分の部屋」でネットやゲームで毎日をすごした。最初のうちは先生が「会いたい」と言ってくれたが、そのうち、先生たちは「会いたい」と言わなくなった。
中学に入ってからは、親とも話をしなくなり、会う回数も減った。もちろん、中学1年生と中学2年生のときの担任とは会っていない。親も私のすることには何も言ってこなかったので、私は好きなときに起き、好きな時に食べ、好きな時に寝る生活をしていた。
5.中学3年の担任の家庭訪問が楽しみに
中学3年生のとき、担任の先生が「日記帳」や「宿題」、「掲示物」を持ってきた。
「私もクラスの一員だからみんなと同じようにやるべきことはやってもらいたい!」
担任の先生がそう言っていたことを母親から聞かされた。
はじめは何にもやらなかったけど、先生の書いてくる日記は読んでいた。私が返事を書かなくても、先生は毎週水曜日に日記を書いて届けてくれた。日記には「先生の事」「クラスで流行っている事」「クラスメイトの事」などいろいろな事が書いてあった。
私は日記を読むのが楽しくなってきて、先生が家に来る時間には2階の階段で待っていた。そして、先生と母親との会話をこっそり聞いていた。
6.初めて日記に返事を書いた!
先生が私の誕生日に「おめでとう」と書いてくれた。私も勇気を出して、先生の誕生日に「おめでとう」を日記に書くことにした。
「先生、誕生日おめでとうございます」
たったこれだけの言葉を書くのに1時間もかかった。初めて日記に返事を書いたのは夏休みだった。先生は夏休みも家に来ていたので母親を通じて日記帳を渡すことができた。
次の日記に先生からのお礼のコメントが書いてあった。それ以外はいつもと同じような内容だったので私は「ホッ」とした。
それから、私は少しずつ日記に返事を書くようになった。それとほぼ同じ時期に「Aちゃん」や「Bちゃん」「Cちゃん」からの手紙を先生が持ってきた。その手紙には「私のことを心配していた事」が書かれていた。
私が学校に行かなくなってからは、(小学校の)担任の先生が「迎えに行ったりしちゃダメと言った事」や「登校刺激を与えないようにと言った事」などが書いてあった。
そして、今の先生は、「手紙を書きたかったら書いていい!」「会いに行きたかったら行けばいい!」と言ってくれているとも書いてあった。Aちゃん達が私を心配してくれていた事を知ってとても嬉しかった。
7.クラスの仲間の手紙にも返事を書いた!
先生と日記の交換が出来るようになった。すると、先生が「英語」と「漢字」の勉強を進めてきた。私も進学を考え始めた頃だったので、先生のつくったプリントや単語練習、漢字練習をやるようになった。
また、先生に勧められ「クラスの仲間との日記交換」もすることになった。
みんなは、「メッセージ」や「趣味の事」「進路の事」「好きな芸能人の事」など、いろいろな事を書いてくれた。この頃には、私も自分の事をハッキリと書けるようになっていたので、自分の思った事を日記に書いた。
この頃、私は「みんなの気持ち答えたい」と思うようになっていた。
8.学校に行くと決めたけど・・・
「明日から学校へ行くぞ!」
登校を決めてから一週間が経ってしまった。
「明日こそは絶対に行くぞ!」
寝る前には思うのだが、翌朝、目が覚めると「登校への気持ち」は弱くなり、自分に言い訳をしてしまう。
「今日は体調が悪いから仕方ない!」
「明日からにしよう!」
ある日の朝、先生が私の家に来た。
「後回しにしないで、今から学校へ行こう!」
こう言った先生は「少し怒っているよう」にも見えた。先生の「少し強い誘い」に私はも勇気を出して学校へ行く決心をした。
9.何で私を待ってくれないの?
教室に行くと女子の友達が私の所に来た。何を話していいか分からず、まごまごしてしまった。その時、次のような気持ちが頭をよぎった。
「また、仲間はずれにされるかもしれない・・・。」
そんな時、Hちゃんがみんなに「ゆっくりSちゃんの話を聞こうよ!」と言ってくれても助かった。
次の授業は「理科」で休み時間に理科室に移動しなければならなかった。心配をしていたら、友達が私に「一緒に行こう!」と声をかけてくれた。
しかし、私がノロノロしていると「先生に怒られるから先に行くね!」と私を置いて行ってしまった。
「何で私を待っててくれないんだろう。」
「私は嫌われているのかもしれない。」
10.1人ひとりが自立しているクラス!
そう考えてしまったが、コレは間違っていた。クラスのみんなは1人ひとりが自立していたのだ。「嫌い」や「好き」ではなく、お互いに尊重し合っていたのだ。だから、その時にしなければいけない選択をしているダケだった。
私は小学校の時、常に「1人の友達」といて、その友達以外とは話をしなかった。しかし、このクラスには、「そんな人」は1人もいなかった。だからといって、みんなの仲が悪い事はない。逆に小学校の頃より、みんなの仲が良いと思った。
クラス全員が親友であり、クラス全員が大人であり、クラス全員が自立していた。だから、徳前、私がクラスに入って来ても昔から「そこにいた」かのように接してくれていたのだ。
私は「自分が嫌われているんじゃないか?」と思うことを止めることにした。そして、自分に自信を持つように意識するようにした。
11.先生!みんな!ありがとう!
中学3年生の最後の1ヶ月半ダケでも学校に行くことができて本当に良かった思う。先生やクラスのみんなのおかげで、自分に自信が持てたからだ。
この1ヶ月半により、私は「高校でもガンバれる!」と思えるようになった。
先生!本当にありがとう!
クラスのみんな!本当にありがとう!
このクラスは最高のクラスでした!
私はこのクラスだから、みんながいたから不登校から復帰できました。
これから、高校に行ってもお互いにがんばりましょう。
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