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不登校の子どもが最もイライラする時期はいつ?不登校が長くなればなるほどイライラも増大!
1.始めて担任した不登校(登校拒否)の子 2.最も不登校期間が長かった、ひきこもりの子ども 3.「待つ」対応を5年しても動き出さなかった不登校 4.登校刺激をしなくなったらケンカはなくなったけど・・・・ 5.5年間のひきこもり生活!親もほとんど顔を見られない! 6.家庭訪問や交換日記を2ヶ月続けたら子供に反応が! 7.5年間のひきこもり生活の状況をお母さんから聞く 8.不登校の子どもが最もイライラする時期はいつ? 9.心機一転ガンバろうと思うけど動き出せない不登校 10.地道な支援でひきこもりから脱出&不登校解決!
私が始めて不登校と言われる子を担任したのは、教員生活10年目の時です。
当時は不登校ではなく登校拒否という言葉が使われていました。
その子は小学校で友達関係の悪化により不登校となってしまった子です。
中学1年生の時に担任となった私は、このような印象を持ちました。
「おとなしいタイプの子だ!」 「自分から話しかけたり、相談をしたりするのが苦手なタイプだな!」 「それなら意図的にコチラから声をかけるようにしよう!」
不登校ではありませんでしたが教員生活10年で、同じように自己主張や人間関係を作るの苦手な子はたくさんみてきました。
私はその子に対しても同じように支援を行いました。
その結果、その子は私のクラスで不登校を解決し、人間関係への苦手意識も徐々になくしていったのです。
私は初めて不登校と言われる子を担任してから、毎年、不登校の子どもの担任をすることになりました。
小学校で不登校になって閉まった子や他のクラスで不登校になってしまった子が、私のクラスにやってきます。
そして、不登校を解決していくのです。
私は教員時代に約70人の不登校を解決してきました。
担任と同時に、副主任や生徒指導主事、特別支援教育コーディネーターなどの役職を兼務していたため、自分のクラスに来た不登校の子どもだけでなく、他のクラスや他の学年の子どもの不登校も解決してきました。
そんな中、最も不登校期間が長かった子がAさんと言う女の子です。
私はAさんが中学校3年生の時に担任となりました。
そのときのAさんの不登校期間は5年です。
小学校4年生の時に友達とのトラブルにより、Aさんは不登校になってしまったそうです。
最初の頃は登校を促していたお母さんでしたが、Aさんは登校を始めません。
そんなとき、お母さんはスクールカウンセラーさんからこのように言われます。
「ムリをさせないようにしましょう!」 「今は心のエネルギ-がなくなってしまっているんです!」 「エネルギーがたまれば、自然と学校にいくようになります。」 「とにかく本人の気持ちに寄り添い、信じて待ってあげましょう!」
このように言われたお母さんは、スクールカウンセラーさんの指示通りに登校刺激を与えることをやめました。
お母さんからの登校刺激が無くなったことで、Aさんとお母さんのケンカはなくなりました。
ただ、それと同時にAさんが学校に行くこともなくなったそうです。
不登校になったばかりの小学校4年生の時は、宿題やお手伝いをしていたAさんでしたが、徐々に宿題やお手伝いをしなくなったそうです。
それでは空いた時間に何をするようになったのかというと、ゲームやTVです。
(当時はスマホやタブレットはまだ、普及していない時代です。)
好きなアイドルのTV番組を録画し、繰り返し、繰り返し見たり、編集をしたりしていたそうです。
当然ですが、就寝時間や起床時間もずれていきます。
私が担任をした中学3年生の時は、完全に昼夜逆転生活となっていました。
小学校4年生から不登校になってしまったAさんは、徐々に部屋にひきこもるようになったそうです。
そして、食事も家族と一緒にとらないようになりました。
自分の部屋に食事を持ってこさせたり、自分が食べたいときに食べたり、深夜、家族が寝静まった頃に食べたりです。
小学校5年生のころからは担任ともほとんど会わなくなったそうです。
実際、中学校1年生と2年生の時の担任は、顔を見たことがないのはもちろん、声を聞いたことがありませんでした。
私がAさんと日記を通して連絡がとれるようになるまで、このようなことが職員室で噂されていました。
「本当にAさんは存在してるの?」
Aさんのお母さんと始めて会ったとき、お母さんは能面のような顔をしてこうおっしゃいました。
「先生、娘の状態(ひきこもり)は変わらないと思います。」 「先生も忙しいでしょうから、家庭訪問はしなくていいですよ。」 「予定などの連絡も必要ありません。」
私は、お母さんにこのようにお伝えさせていただきました。
「Aさんも私のクラスの一員です。」 「できる限りの支援はさせていただきます。」 「クラスの子たちとやっている日記交換をAさんともやらせてください!」 「毎日の家庭訪問はできないかもしれませんが、週に1~2回は訪問させて下さい。」 「こちらは家に帰る途中ですので、気を使っていただかなくて結構です。」
最初は一方通行だった日記や家庭訪問に対して、Aさんが反応を示したのが週に2回の家庭訪問を始めてから2ヶ月たったころでした。
ほんの少しですが、Aさんの生活に改善が見られるようになると、お母さんの態度も友好的になりました。
1回の訪問時間は30分ほどです。
もちろん、Aさんと会うことが出来ないため30分はお母さんと話をするわけです。
Aさんの様子や今後の対応についての話をお母さんとするなかで、お母さんは様々なことを私に教えてくれました。
「登校刺激を与えなくなったらケンカはなくなった。」 「ただ、宿題やお手伝いもしなくなった。」 「親に対してアレコレと注文するようになった。」 「○○を買ってきて!アレが欲しい!□□は食べたくない!など」 「私は完全に召し使い扱いされるようになりました。」
ある日の訪問でお母さんはこうおっしゃいました。
「先生、娘が最もイライラする時期ってわかりますか?」
不登校の子どもを担任するようになって数年しか経っていなかった私には、全く理解出来ない質問でした。
私はそれまでの経験をもとに、このように応えました。
「夏休みの最後とかですか?」
するとお母さんはこうおっしゃいました。
「惜しいです!」 「夏休みや冬休みの後半もイライラしていますね!」 「でも、娘が最もイライラするのは春休みの後半、4月なんです!」 「とくに今年の4月はひどかったんですよ!」
春(4月)は、進学、進級の季節です。
実際、不登校の子どもたちも「心機一転がんばろう!」と考え、行動する季節でもあります。
しかし、不登校の期間が5年になるAさんは違いました。
Aさんも、不登校になった翌年や翌々年は、「心機一転がんばろう!」と思っていたでしょう。
ただ、不登校が長期化するにつれAさんは、このように思うようになったそうです。
「みんなはどんどん進級していく。」 「それなのに私は一歩も前に進めていない。」 「今年も学校に行くことができない。」 「私はダメな人間なんだ・・・・。」
私は夏休みも週に1回の家庭訪問を続けました。
その甲斐もあって9月にはAさんと日記で会話ができるようになりました。
そして、12月には直接、本人と会うこともできました。
別室ではありますが、Aさんは3学期から登校を始めました。
徐々に学校にもなれクラスで授業を受けることもできました。
最終的には、定時制高校の入試を受けることができ、午後から夜間の部に合格することもできました。
→まずは静岡にある不登校解決相談所の無料相談を! →全国から、相談の依頼をいただいております。
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24/12/02
24/11/25
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心機一転ガンバろうと思ってるけど・・・・
1.始めて担任した不登校(登校拒否)の子
2.最も不登校期間が長かった、ひきこもりの子ども
3.「待つ」対応を5年しても動き出さなかった不登校
4.登校刺激をしなくなったらケンカはなくなったけど・・・・
5.5年間のひきこもり生活!親もほとんど顔を見られない!
6.家庭訪問や交換日記を2ヶ月続けたら子供に反応が!
7.5年間のひきこもり生活の状況をお母さんから聞く
8.不登校の子どもが最もイライラする時期はいつ?
9.心機一転ガンバろうと思うけど動き出せない不登校
10.地道な支援でひきこもりから脱出&不登校解決!
1.始めて担任した不登校(登校拒否)の子
私が始めて不登校と言われる子を担任したのは、教員生活10年目の時です。
当時は不登校ではなく登校拒否という言葉が使われていました。
その子は小学校で友達関係の悪化により不登校となってしまった子です。
中学1年生の時に担任となった私は、このような印象を持ちました。
「おとなしいタイプの子だ!」
「自分から話しかけたり、相談をしたりするのが苦手なタイプだな!」
「それなら意図的にコチラから声をかけるようにしよう!」
不登校ではありませんでしたが教員生活10年で、同じように自己主張や人間関係を作るの苦手な子はたくさんみてきました。
私はその子に対しても同じように支援を行いました。
その結果、その子は私のクラスで不登校を解決し、人間関係への苦手意識も徐々になくしていったのです。
2.最も不登校期間が長かった、ひきこもりの子ども
私は初めて不登校と言われる子を担任してから、毎年、不登校の子どもの担任をすることになりました。
小学校で不登校になって閉まった子や他のクラスで不登校になってしまった子が、私のクラスにやってきます。
そして、不登校を解決していくのです。
私は教員時代に約70人の不登校を解決してきました。
担任と同時に、副主任や生徒指導主事、特別支援教育コーディネーターなどの役職を兼務していたため、自分のクラスに来た不登校の子どもだけでなく、他のクラスや他の学年の子どもの不登校も解決してきました。
そんな中、最も不登校期間が長かった子がAさんと言う女の子です。
3.「待つ」対応を5年しても動き出さなかった不登校
私はAさんが中学校3年生の時に担任となりました。
そのときのAさんの不登校期間は5年です。
小学校4年生の時に友達とのトラブルにより、Aさんは不登校になってしまったそうです。
最初の頃は登校を促していたお母さんでしたが、Aさんは登校を始めません。
そんなとき、お母さんはスクールカウンセラーさんからこのように言われます。
「ムリをさせないようにしましょう!」
「今は心のエネルギ-がなくなってしまっているんです!」
「エネルギーがたまれば、自然と学校にいくようになります。」
「とにかく本人の気持ちに寄り添い、信じて待ってあげましょう!」
このように言われたお母さんは、スクールカウンセラーさんの指示通りに登校刺激を与えることをやめました。
4.登校刺激をしなくなったらケンカはなくなったけど・・・・
お母さんからの登校刺激が無くなったことで、Aさんとお母さんのケンカはなくなりました。
ただ、それと同時にAさんが学校に行くこともなくなったそうです。
不登校になったばかりの小学校4年生の時は、宿題やお手伝いをしていたAさんでしたが、徐々に宿題やお手伝いをしなくなったそうです。
それでは空いた時間に何をするようになったのかというと、ゲームやTVです。
(当時はスマホやタブレットはまだ、普及していない時代です。)
好きなアイドルのTV番組を録画し、繰り返し、繰り返し見たり、編集をしたりしていたそうです。
当然ですが、就寝時間や起床時間もずれていきます。
私が担任をした中学3年生の時は、完全に昼夜逆転生活となっていました。
5.5年間のひきこもり生活!親もほとんど顔を見られない!
小学校4年生から不登校になってしまったAさんは、徐々に部屋にひきこもるようになったそうです。
そして、食事も家族と一緒にとらないようになりました。
自分の部屋に食事を持ってこさせたり、自分が食べたいときに食べたり、深夜、家族が寝静まった頃に食べたりです。
小学校5年生のころからは担任ともほとんど会わなくなったそうです。
実際、中学校1年生と2年生の時の担任は、顔を見たことがないのはもちろん、声を聞いたことがありませんでした。
私がAさんと日記を通して連絡がとれるようになるまで、このようなことが職員室で噂されていました。
「本当にAさんは存在してるの?」
6.家庭訪問や交換日記を2ヶ月続けたら子供に反応が!
Aさんのお母さんと始めて会ったとき、お母さんは能面のような顔をしてこうおっしゃいました。
「先生、娘の状態(ひきこもり)は変わらないと思います。」
「先生も忙しいでしょうから、家庭訪問はしなくていいですよ。」
「予定などの連絡も必要ありません。」
私は、お母さんにこのようにお伝えさせていただきました。
「Aさんも私のクラスの一員です。」
「できる限りの支援はさせていただきます。」
「クラスの子たちとやっている日記交換をAさんともやらせてください!」
「毎日の家庭訪問はできないかもしれませんが、週に1~2回は訪問させて下さい。」
「こちらは家に帰る途中ですので、気を使っていただかなくて結構です。」
最初は一方通行だった日記や家庭訪問に対して、Aさんが反応を示したのが週に2回の家庭訪問を始めてから2ヶ月たったころでした。
7.5年間のひきこもり生活の状況をお母さんから聞く
ほんの少しですが、Aさんの生活に改善が見られるようになると、お母さんの態度も友好的になりました。
1回の訪問時間は30分ほどです。
もちろん、Aさんと会うことが出来ないため30分はお母さんと話をするわけです。
Aさんの様子や今後の対応についての話をお母さんとするなかで、お母さんは様々なことを私に教えてくれました。
「登校刺激を与えなくなったらケンカはなくなった。」
「ただ、宿題やお手伝いもしなくなった。」
「親に対してアレコレと注文するようになった。」
「○○を買ってきて!アレが欲しい!□□は食べたくない!など」
「私は完全に召し使い扱いされるようになりました。」
8.不登校の子どもが最もイライラする時期はいつ?
ある日の訪問でお母さんはこうおっしゃいました。
「先生、娘が最もイライラする時期ってわかりますか?」
不登校の子どもを担任するようになって数年しか経っていなかった私には、全く理解出来ない質問でした。
私はそれまでの経験をもとに、このように応えました。
「夏休みの最後とかですか?」
するとお母さんはこうおっしゃいました。
「惜しいです!」
「夏休みや冬休みの後半もイライラしていますね!」
「でも、娘が最もイライラするのは春休みの後半、4月なんです!」
「とくに今年の4月はひどかったんですよ!」
9.心機一転ガンバろうと思うけど動き出せない不登校
春(4月)は、進学、進級の季節です。
実際、不登校の子どもたちも「心機一転がんばろう!」と考え、行動する季節でもあります。
しかし、不登校の期間が5年になるAさんは違いました。
Aさんも、不登校になった翌年や翌々年は、「心機一転がんばろう!」と思っていたでしょう。
ただ、不登校が長期化するにつれAさんは、このように思うようになったそうです。
「みんなはどんどん進級していく。」
「それなのに私は一歩も前に進めていない。」
「今年も学校に行くことができない。」
「私はダメな人間なんだ・・・・。」
10.地道な支援でひきこもりから脱出&不登校解決!
私は夏休みも週に1回の家庭訪問を続けました。
その甲斐もあって9月にはAさんと日記で会話ができるようになりました。
そして、12月には直接、本人と会うこともできました。
別室ではありますが、Aさんは3学期から登校を始めました。
徐々に学校にもなれクラスで授業を受けることもできました。
最終的には、定時制高校の入試を受けることができ、午後から夜間の部に合格することもできました。
→まずは静岡にある不登校解決相談所の無料相談を!
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