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「先生が不登校から救ってくれた!」「夢を叶えられたのも先生のおかげです!」(成人式での言葉)
1.成人式で教え子たちと再開! 2.先生が不登校から救ってくれた! 3.定期的な家庭訪問で不登校解決を目指す! 4.約束した宿題をやっていないので怒ると 5.お母さんとの「こまめな連絡」で連携強化 6.最初の訪問から「登校」を伝え続けた! 7.3年生の引退前にテニス部入部! 8.土日の自主練にも参加するようになった! 9.「僕のミスで負けてゴメン!」と言えるまでに 10.高校を目指し朝の勉強会に参加! 11.希望していた全日制高校に合格! 12.高校でも無遅刻、無欠席!夢を見つける! 13.Yくんのチャーハン弁当の味を想い出す 14.雑用の大切さは部活で学んだんだ! 15.夢を叶えてラーメン屋の店長に!
先日、成人式の後、同窓会に参加してきました。
教え子たちとお酒を飲んで昔話に花を咲かせていると、ある男の子が私の所にお酒を持ってきてくれました。
私はスグにそれがYくんだと気づきました。
ただ、私の記憶にあるYくんと、お酒を持ってきてくれたYくんは完全に別人です。
それでも、私がYくんであると気づいたのは、中学校の時から雰囲気が変わっていなかったからです。
ちなみに中学1年生のときのYくんは「背が小さくぽっちゃり」「かわいい顔をしている」「甘えん坊」でした。
しかし、目の前にいる20才のYくんは「身長170cm」「細マッチョ」でガテン系の感じだったのです。
「先生!誰だか分かりますか?」 「今の僕があるのは先生のおかげです。」 「先生が不登校から救ってくれたから高校にも行けました!」 「そして、夢を叶えられたのも先生のおかげです!」 「本当にありがとうございます!」
しっかりと挨拶をしてくれたYくんは、立派な成人でした。
「そんなことないよ!」 「Yがガンバったからだよ!」 「それにしても懐かしいな~!」 「何度もYの家に迎えに行ったもんな~!」 「お母さんは元気?」
Yくんは、小学校6年生になってすぐに不登校になってしまいました。
母1人、子1人の母子家庭で育ったYくんは、お母さんは大切にされて育ちました。
※ 少し過保護すぎた感じはありました。
私はYくんが中学校1年生のときの担任です。
不登校だったYくんに会うため、何度も何度も家庭訪問をしました。
私は家庭訪問で約束を破ったYくんを叱ったことがあります。
するとYくんのお母さんは、私に文句を言ってきました。
「Yは宿題をやろうとしたと言っています!」 「でも、内容が分からなくて出来なかったと言っています!」 「それなのに先生はYを怒ったんですね!」 「それは理不尽じゃないですか?」
私は宿題が漢字の書き取りであることを伝え、丁寧にやっても30分で終わる内容であると伝えました。
もちろん、お母さんのプライドを潰さないように謝りながら伝えたのです。
私は家庭訪問の様子をお母さんに細かく伝えることにしました。
同時に宿題についても内容をしっかりと伝えます。
定期的な家庭訪問では、最初に宿題を一緒に行い、少しで「やる気」を引き出すようにしました。
家庭訪問でのガンバリもスグにお母さんに伝え、Yくんを褒めてもらうことにします。
これにより、Yくんは「宿題」を継続することができるようになりました。
(私に怒られるのがイヤだというのもあったと思います。)
私は最初に家庭訪問したときから「登校の必要性」をYくんに伝えきました。
「このまま、家にいてゲームばかりはダメだよ!」 「学校に行って様々な経験をすることが大切だからね!」 「不安なときは先生が助けるからね!」 「○月までには登校できるようにしていこうね!」など
ただ、教室への登校は思った以上にすんなりいきました。
私が教室登校を提案するとYくんは、何も拒否せず「うん」と言ったのです。
Yくんの性格が社交的であったことも幸いだったのでしょう。
もちろん、宿題や勉強を一緒に行ったことで、Yくんの自信が高まったことは言うまでもありません。
中学1年生の7月からは、毎日、登校できるようになっていたYくんは、私が顧問を務めるテニス部に所属していました。
「3年生が引退してからテニス部に入りたい。」
Yくんのこの言葉に私は「反対」しました。
これは、他の1年生の部員との人間関係を考えての事でした。
1年生として「球拾い」や「後片付け」「声出し」などを経験させたかったのです。
昔ながらの考えと思う方もいるかも知れませんが、やはり、面倒な「球拾い」や「後片付け」などを一緒にやることはとても大切です。
これは、同じ部員にとっては大人が考える以上に大切なことなのです。
「3年生がやめたら入って来た!」
「球拾いとか、ダッシュとかしてないのはズルい!」など
私はYくんがこのように思われないようしたかったのです。
夏休み2入り3年生が引退すると、1~2年生がメインとなって練習を行います。
そんな中、Yくんは練習熱心なグループに属していました。
土曜日に午前中の練習が終わると午後は自主練となります。
自主練は自由参加ですがYくんは常に自主練に参加していました。
自主練ですのでほとんどの子どもたちが試合を行います。
私も何度か一緒に試合をしたことがあるのですが、Yくんは元気にコート中を駆け回っていました。
他の学校の先生が見たら、1ヶ月前まで不登校だったとは思えなかったでしょう。
中学1年生の2学期以降、Yくんが学校を休むことはありませんでした。
逆に土日も学校に来て、テニスの練習をする程までになっていました。
中学2年生、3年生になっても、Yくんが不登校に戻ることはありません。
※ 私は中学1年と2年生の担任をしていました。
当然、部活の練習には積極的に参加しています。
テニス部の中では2番手となっていたYくんですが、最後の中体連では、残念ながら3回戦で負けてしまいました。
「僕がミスしなければ・・・。」 「最後のボールに追いつけなくてゴメン!」
泣きながらパートナーに謝っているYくんの姿が今でも思い出されます。
不登校解決後も宿題を続けていたYくんですが成績は中の下くらいでした。
「先生~、相談があるんだけど・・・。」
隣のクラスのYくんが私に話かけてきます。
「オレ、料理人になりたいんだよね~。」 「その場合、どこの高校に行けばいいかな?」
Yくんの夢は「漠然」としたものでした。
そこで、私は受験まで勉強をガンバり、その成績で入る学校を決めるように提案をします。
さらには、自分のクラスで行っていた朝と放課後の勉強会に誘ったのです。
私のクラスの勉強が苦手な子どもたち+隣のクラスのYくん+隣の隣のクラスのAくん。
合計6人で朝と放課後の勉強会が始まりました。
勉強会と言っても、理科室に集合してお互いに教え合ったり、聞いたりする会です。
時には勉強ではなく「高校の話」で盛り上がったこともありました。
そんな中、Yくんは勉強会も1度も休まず出席を継続します。
その結果、希望していた公立の全日制高校に合格することが出来たのです。
高校生になったYくんはバイトを始めたそうです。
欲しいものを買うため、母1人子1人の母子家庭のため、母に迷惑をかけないようにと考えたためです。
最初に始めたバイトがラーメン屋だったことが、Yくんの夢を形作ったのかもしれません。
ラーメン作りに興味をもったYくんは、ラーメンの食べ歩きをするようになります。
そして、何件かのラーメン屋でバイトをしたのです。
もちろん、Yくんが高校で不登校に戻ることはありませんでした。
それどころか、3年間、無遅刻、無欠席だったそうです。
そんなYくんは、高校卒業後にラーメン屋に就職(?修行?)をすることに決めました。
今、思い出してみるとYくんは自分で作ったお弁当を持ってきて午後の自主練を行っていました。
その中で私の記憶にあるのはYくんお手製の「チャーハン弁当」です。
「前日の夕飯でご飯を多く炊いておくんだ!」 「翌朝、冷たいご飯に卵とカマボコ、味の素を入れて混ぜるんだ!」 「卵かけご飯を作る感じ!」 「それを、フライパンで炒めて、最後に醤油で味を調えるんだよ!」 「ネギがあるときはネギも刻んで入れるよ!」 「先生も味見してみる?」
その時、私はYくんのお手製チャーハンを一口もらいました。
それは、お世辞ではなく本当においしいチャーハンでした。
お店の味とまでは言いませんが、少なくとも私の妻が作ったチャーハンよりおいしかったのは事実です。笑
「朝から豚骨を煮込んでるよ!」 「スープは1時間おきにチェックしないとダメなんだ!」 「オレが一番下っ端だから、雑用が多いんだよ~。」 「でも、逃げ出さないでちゃんとやってるよ!」 「中1の時、先生に雑用は大事って言われたのを思い出すんだ!」 「あの時、先輩が卒業する前に部活に入って良かったよ!」 「みんなと一緒に球拾いをやったのが良かったと思う。」 「面倒な事を経験しておくと大変さがわかるようになるからね!」
私はYくんが働いているラーメン屋の場所を聞きました。
「今月中に食べに行くよ!」 「Yが作ったラーメンやチャーハンが食べたいな~!」
2週間後。
私はYくんが勤めているラーメン屋に行きました。
すると店長さんから丁寧な挨拶をいただきます。
「先生!今日はYにラーメンとチャーハンを作らせます。」 「まだまだ、未熟なのですが許してやって下さい。」 「マズかったからって、それを言いふらさないで下さいよ!笑」
Yくんは私の為に丁寧にラーメンとチャーハンを作ってくれました。
店長からすると、お客様に提供できる品ではないのかもしれません。
しかし、Yくんの料理は本当においしい料理でした。
ちなみに、現在のYくんは「暖簾分け」をしてもらい、ラーメン屋の店長となっています。
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海外からの相談もいただくようになりました。
カナダ、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県、北海道、岩手県、福島県、宮城県、山梨県、愛知県、青森県、新潟県、石川県、福井県、富山県、長野県、岐阜県、大阪府、京都府、三重県、兵庫県、奈良県、島根県、岡山県、広島県、徳島県、高知県、愛媛県、佐賀県、宮崎県、大分県、熊本県、福岡県、沖縄県から不登校の相談をいただいております。
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25/07/17
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中学校1年生の不登校が3ヶ月で解決!
1.成人式で教え子たちと再開!
2.先生が不登校から救ってくれた!
3.定期的な家庭訪問で不登校解決を目指す!
4.約束した宿題をやっていないので怒ると
5.お母さんとの「こまめな連絡」で連携強化
6.最初の訪問から「登校」を伝え続けた!
7.3年生の引退前にテニス部入部!
8.土日の自主練にも参加するようになった!
9.「僕のミスで負けてゴメン!」と言えるまでに
10.高校を目指し朝の勉強会に参加!
11.希望していた全日制高校に合格!
12.高校でも無遅刻、無欠席!夢を見つける!
13.Yくんのチャーハン弁当の味を想い出す
14.雑用の大切さは部活で学んだんだ!
15.夢を叶えてラーメン屋の店長に!
1.成人式で教え子たちと再開!
先日、成人式の後、同窓会に参加してきました。
教え子たちとお酒を飲んで昔話に花を咲かせていると、ある男の子が私の所にお酒を持ってきてくれました。
私はスグにそれがYくんだと気づきました。
ただ、私の記憶にあるYくんと、お酒を持ってきてくれたYくんは完全に別人です。
それでも、私がYくんであると気づいたのは、中学校の時から雰囲気が変わっていなかったからです。
ちなみに中学1年生のときのYくんは「背が小さくぽっちゃり」「かわいい顔をしている」「甘えん坊」でした。
しかし、目の前にいる20才のYくんは「身長170cm」「細マッチョ」でガテン系の感じだったのです。
2.先生が不登校から救ってくれた!
「先生!誰だか分かりますか?」
「今の僕があるのは先生のおかげです。」
「先生が不登校から救ってくれたから高校にも行けました!」
「そして、夢を叶えられたのも先生のおかげです!」
「本当にありがとうございます!」
しっかりと挨拶をしてくれたYくんは、立派な成人でした。
「そんなことないよ!」
「Yがガンバったからだよ!」
「それにしても懐かしいな~!」
「何度もYの家に迎えに行ったもんな~!」
「お母さんは元気?」
3.定期的な家庭訪問で不登校解決を目指す!
Yくんは、小学校6年生になってすぐに不登校になってしまいました。
母1人、子1人の母子家庭で育ったYくんは、お母さんは大切にされて育ちました。
※ 少し過保護すぎた感じはありました。
私はYくんが中学校1年生のときの担任です。
不登校だったYくんに会うため、何度も何度も家庭訪問をしました。
4.約束した宿題をやっていないので怒ると
私は家庭訪問で約束を破ったYくんを叱ったことがあります。
するとYくんのお母さんは、私に文句を言ってきました。
「Yは宿題をやろうとしたと言っています!」
「でも、内容が分からなくて出来なかったと言っています!」
「それなのに先生はYを怒ったんですね!」
「それは理不尽じゃないですか?」
私は宿題が漢字の書き取りであることを伝え、丁寧にやっても30分で終わる内容であると伝えました。
もちろん、お母さんのプライドを潰さないように謝りながら伝えたのです。
5.お母さんとの「こまめな連絡」で連携強化
私は家庭訪問の様子をお母さんに細かく伝えることにしました。
同時に宿題についても内容をしっかりと伝えます。
定期的な家庭訪問では、最初に宿題を一緒に行い、少しで「やる気」を引き出すようにしました。
家庭訪問でのガンバリもスグにお母さんに伝え、Yくんを褒めてもらうことにします。
これにより、Yくんは「宿題」を継続することができるようになりました。
(私に怒られるのがイヤだというのもあったと思います。)
6.最初の訪問から「登校」を伝え続けた!
私は最初に家庭訪問したときから「登校の必要性」をYくんに伝えきました。
「このまま、家にいてゲームばかりはダメだよ!」
「学校に行って様々な経験をすることが大切だからね!」
「不安なときは先生が助けるからね!」
「○月までには登校できるようにしていこうね!」など
ただ、教室への登校は思った以上にすんなりいきました。
私が教室登校を提案するとYくんは、何も拒否せず「うん」と言ったのです。
Yくんの性格が社交的であったことも幸いだったのでしょう。
もちろん、宿題や勉強を一緒に行ったことで、Yくんの自信が高まったことは言うまでもありません。
7.3年生の引退前にテニス部入部!
中学1年生の7月からは、毎日、登校できるようになっていたYくんは、私が顧問を務めるテニス部に所属していました。
「3年生が引退してからテニス部に入りたい。」
Yくんのこの言葉に私は「反対」しました。
これは、他の1年生の部員との人間関係を考えての事でした。
1年生として「球拾い」や「後片付け」「声出し」などを経験させたかったのです。
昔ながらの考えと思う方もいるかも知れませんが、やはり、面倒な「球拾い」や「後片付け」などを一緒にやることはとても大切です。
これは、同じ部員にとっては大人が考える以上に大切なことなのです。
「3年生がやめたら入って来た!」
「球拾いとか、ダッシュとかしてないのはズルい!」など
私はYくんがこのように思われないようしたかったのです。
8.土日の自主練にも参加するようになった!
夏休み2入り3年生が引退すると、1~2年生がメインとなって練習を行います。
そんな中、Yくんは練習熱心なグループに属していました。
土曜日に午前中の練習が終わると午後は自主練となります。
自主練は自由参加ですがYくんは常に自主練に参加していました。
自主練ですのでほとんどの子どもたちが試合を行います。
私も何度か一緒に試合をしたことがあるのですが、Yくんは元気にコート中を駆け回っていました。
他の学校の先生が見たら、1ヶ月前まで不登校だったとは思えなかったでしょう。
9.「僕のミスで負けてゴメン!」と言えるまでに
中学1年生の2学期以降、Yくんが学校を休むことはありませんでした。
逆に土日も学校に来て、テニスの練習をする程までになっていました。
中学2年生、3年生になっても、Yくんが不登校に戻ることはありません。
※ 私は中学1年と2年生の担任をしていました。
当然、部活の練習には積極的に参加しています。
テニス部の中では2番手となっていたYくんですが、最後の中体連では、残念ながら3回戦で負けてしまいました。
「僕がミスしなければ・・・。」
「最後のボールに追いつけなくてゴメン!」
泣きながらパートナーに謝っているYくんの姿が今でも思い出されます。
10.高校を目指し朝の勉強会に参加!
不登校解決後も宿題を続けていたYくんですが成績は中の下くらいでした。
「先生~、相談があるんだけど・・・。」
隣のクラスのYくんが私に話かけてきます。
「オレ、料理人になりたいんだよね~。」
「その場合、どこの高校に行けばいいかな?」
Yくんの夢は「漠然」としたものでした。
そこで、私は受験まで勉強をガンバり、その成績で入る学校を決めるように提案をします。
さらには、自分のクラスで行っていた朝と放課後の勉強会に誘ったのです。
11.希望していた全日制高校に合格!
私のクラスの勉強が苦手な子どもたち+隣のクラスのYくん+隣の隣のクラスのAくん。
合計6人で朝と放課後の勉強会が始まりました。
勉強会と言っても、理科室に集合してお互いに教え合ったり、聞いたりする会です。
時には勉強ではなく「高校の話」で盛り上がったこともありました。
そんな中、Yくんは勉強会も1度も休まず出席を継続します。
その結果、希望していた公立の全日制高校に合格することが出来たのです。
12.高校でも無遅刻、無欠席!夢を見つける!
高校生になったYくんはバイトを始めたそうです。
欲しいものを買うため、母1人子1人の母子家庭のため、母に迷惑をかけないようにと考えたためです。
最初に始めたバイトがラーメン屋だったことが、Yくんの夢を形作ったのかもしれません。
ラーメン作りに興味をもったYくんは、ラーメンの食べ歩きをするようになります。
そして、何件かのラーメン屋でバイトをしたのです。
もちろん、Yくんが高校で不登校に戻ることはありませんでした。
それどころか、3年間、無遅刻、無欠席だったそうです。
そんなYくんは、高校卒業後にラーメン屋に就職(?修行?)をすることに決めました。
13.Yくんのチャーハン弁当の味を想い出す
今、思い出してみるとYくんは自分で作ったお弁当を持ってきて午後の自主練を行っていました。
その中で私の記憶にあるのはYくんお手製の「チャーハン弁当」です。
「前日の夕飯でご飯を多く炊いておくんだ!」
「翌朝、冷たいご飯に卵とカマボコ、味の素を入れて混ぜるんだ!」
「卵かけご飯を作る感じ!」
「それを、フライパンで炒めて、最後に醤油で味を調えるんだよ!」
「ネギがあるときはネギも刻んで入れるよ!」
「先生も味見してみる?」
その時、私はYくんのお手製チャーハンを一口もらいました。
それは、お世辞ではなく本当においしいチャーハンでした。
お店の味とまでは言いませんが、少なくとも私の妻が作ったチャーハンよりおいしかったのは事実です。笑
14.雑用の大切さは部活で学んだんだ!
「朝から豚骨を煮込んでるよ!」
「スープは1時間おきにチェックしないとダメなんだ!」
「オレが一番下っ端だから、雑用が多いんだよ~。」
「でも、逃げ出さないでちゃんとやってるよ!」
「中1の時、先生に雑用は大事って言われたのを思い出すんだ!」
「あの時、先輩が卒業する前に部活に入って良かったよ!」
「みんなと一緒に球拾いをやったのが良かったと思う。」
「面倒な事を経験しておくと大変さがわかるようになるからね!」
私はYくんが働いているラーメン屋の場所を聞きました。
「今月中に食べに行くよ!」
「Yが作ったラーメンやチャーハンが食べたいな~!」
15.夢を叶えてラーメン屋の店長に!
2週間後。
私はYくんが勤めているラーメン屋に行きました。
すると店長さんから丁寧な挨拶をいただきます。
「先生!今日はYにラーメンとチャーハンを作らせます。」
「まだまだ、未熟なのですが許してやって下さい。」
「マズかったからって、それを言いふらさないで下さいよ!笑」
Yくんは私の為に丁寧にラーメンとチャーハンを作ってくれました。
店長からすると、お客様に提供できる品ではないのかもしれません。
しかし、Yくんの料理は本当においしい料理でした。
ちなみに、現在のYくんは「暖簾分け」をしてもらい、ラーメン屋の店長となっています。
→まずは静岡県にある不登校解決相談所の無料相談を!
→全国から、相談の依頼をいただいております。
海外からの相談もいただくようになりました。
カナダ、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県、北海道、岩手県、福島県、宮城県、山梨県、愛知県、青森県、新潟県、石川県、福井県、富山県、長野県、岐阜県、大阪府、京都府、三重県、兵庫県、奈良県、島根県、岡山県、広島県、徳島県、高知県、愛媛県、佐賀県、宮崎県、大分県、熊本県、福岡県、沖縄県から不登校の相談をいただいております。
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