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不登校や発達障害の子どもを「ギフテット」と特別扱いして他の子と違う教育や育て方をした結果
1.東大のギフテッド教育が失敗したのを知っていますか? 2.「うちの子は他の子より大人びている。」は本当? 3.「あれはは挫折でした。」ギフテッド教育担当者 4.イヤな事から逃げるガンバれない不登校の子たち 5.得意は伸ば!苦手はそこそこ出来るように! 6.好きな事だけしかしなくなったギフテッドたち 7.IQ150以上でも基礎がなければ意味が無い! 8.調べた知識をまとめているダケで本質がない 9.好きな事だけを学んでも土台が作れない! 10.東大が行った5年5億円の大プロジェクト 11.「将来のエジソンを育てよう!」育ったの? 12.「学校以外でも学ぶことができる!」がキッカケ 13.プロジェクトが頓挫した理由は「異才」という言葉? 14.「志」や「やる気」があっても失敗したということは 15.能力を開花させるには努力や継続、我慢が必要! 16.好きな事だけで大丈夫?動き出す? 17.そろそろ対応を変えませんか?
不登校の子どもの中には「ギフテッド」と呼ばれる、IQが高い子どもたちがいます。
その子たちは、IQが高いことで学校になじめず不登校になってしまうと言われています。
そんな「ギフテッド」の教育に力をいれようとしたのが、東京大学による「異才発掘プロジェクトROCKET(2014)」とNPO法人翔和学園「ギフテッドクラス(2015」によるです。
※現在、東京大学のROCKETはLEARNと名前を変えて活動しています。 ※ただし、以前との教育とは全く違う活動を行っています。
当時、どちらのプロジェクトも、発足当初は新聞やニュースを賑わしていました。
これにより、「不登校でも大丈夫」という考えが加速度的に広がったのは間違いありません。
実際、東京大学のROCKETを始めた中邑教授はこのように仰っています。
「それぞれが『変わっていていいんだよ』ということをやりたかった。」 「もちろん、ROCKETを通して、世間の不登校の子に対するマイナスイメージは、ある程度払拭することはできたと思っています。」 「人と違っていてもいい、という雰囲気は、つくれたと思います。」
しかし、どちらのプロジェクトも「失敗」に終わっていることをみなさんは知っていますでしょうか?
「うちの子には学校というシステムが合っていないんです。」 「話す言葉も大人びているので、周りの子と合わないんだと思います。」 「クラスのみんなと勉強するのは苦手なんです。」 「自分の得意な教科を自分のペースで進めたいんです。」 「周りの子のペースに合わせるのがイヤなんです。」
この時期より、このように仰る不登校の親御さんが増えたのも事実です。
しかし、静岡県にある不登校解決相談所では、当時から今まで一貫して、このようにお伝えしています。
「大人びた発言はyoutubeの影響です。」 「もちろん、自分の好きな教科の知識を深く知っているのでしょう。」 「しかし、その知識や発言には実が伴っていません。」 「これでは、高校、大学に入ったときに困りますよ!」 「得意な教科を伸ばすのは結構ですが、勉強以外のことも学ばなければなりません。」 「我慢をする、コミュニケーション力を高める、相手の気持ちを察する、人をバカにしないなどが社会では必要です。」 「これらのスキルが得意になる必要はありません。」 「それでも、社会で生活できるレベルにしなければなりません。」
「あれは挫折でした。」 「私たちはもともと、障害者への差別をなくそうと闘ってきた。」 「しかし、結果的には私たち自身が子どもたちに差別意識をつくってしまいました。」
これはギフテッドクラスを運営していた翔和学園の担当者の言葉です。
その方は、このようにも言っていました。
「それまでの特別支援教育は欠点や苦手を克服しようという支援になりがちでした。」 「そうではなく、強みや能力を伸ばしていくことを目指そうということで『ギフテッド教育』を始めたのです」
自分の得意な部分を伸ばしていくという教育はとても大切なものだと、静岡県にある不登校解決相談所でも考えています。
ただ、不登校解決相談所では「苦手」についても最低限、社会で通用する程度には底上げをする必要があると考えています。
そのため、不登校の子どもの支援をするときには、得意なものを多く行う工夫をしながらも、苦手を克服する支援を行うのです。
20年間の教員生活と10年間のカウンセラー生活の中で何千人という子どもたちを見てきました。
「ムリしなくていいよ!」 「イヤならやらなくていいよ!」
このように親や先生から言われてきた不登校の子どもたちがたくさんいます。
もちろん、この対応を行ったことで不登校が解決しているのであれば問題はありません。
しかし、30年の経験から、この対応で不登校が解決していない子がほとんどであることは分かっています。
この対応を受けた子どもたちの全員が完全不登校になっているわけではありません。
しかし、総じて「イヤな事」を避ける傾向にあるのは事実です。
そのため、4月から登校を始めたと思っても不登校に戻ってしまったり、修学旅行や運動会、合唱コンクールに参加したと思っても不登校に戻ってしまったりする子がほとんどなのです。
「得意や好きを伸ばすようにしましょう!」 「苦手はそれなりの水準には引き上げましょう。」
不登校解決相談所の代表カウンセラーで公認心理師の私がよく使う言葉です。
これは、教員生活20年とカウンセラー生活10年の経験から出てきた言葉です。
実際、私の教員時代の教え子で不登校傾向の子どもがいました。
彼はADHDの特性を持っている子です。
不登校生徒として私のクラスにきた彼に対して、私は得意を伸ばす支援と苦手をそこそこにできる支援をしました。
彼の不登校は1ヶ月で解決し、それから卒業までの2年間は無遅刻、無欠席となります。
私は担任の2年間で学習面と生活面の両方で彼の得意を伸ばし、苦手の底上げをしました。
その結果、彼は英語と社会で70を超える偏差値を獲得することが出来ました。
※苦手な数学は偏差値40程度でした。
中学を卒業した彼は、私立の進学校に合格、その後、上智大学に合格することができたのです。
良くも悪くも高校1年生の時から、目標を私立大学一本に決めていたそうです。
→不登校を解決した親御さんからたくさんの「喜びの声」が寄せられています。
翔和学園の先生の話ではギフテッドクラスの子どもたちは、このように言っていたそうです。
「俺たちは天才なんだから、障害のある子と一緒のことはしなくていい。」
これはギフテッドクラスを教えていた自分たちのせいでもあると言っています。
「教えるほうにも問題がありました。」 「君たちは天才なんだからと特別視し、高い知能を伸ばすことに力を入れてしまった。」
同様に保護者の考えも少しずつ変わっていったそうです。
「うちの子は発達障害ではなくギフテッドなんだ。」
このように思った親や教員は、「子どもの意思を尊重する」対応を取ってしまったようです。
これにより、子どもたちは「好きな事」だけしかしなくなります。
当然、ギフテッドの子どもたちは面倒なことをしなくなってしまいます。
これは、現在、主流になってしまった不登校の対応と結果に似ています。
「子どもの意志を尊重しましょう。」 「好きな事をして心のエネルギーを溜めましょう。」
このような対応をすることで、不登校の子どもたちは、面倒なことをしなくなったり、イヤな事を避けるようになったりします。
そして、それが当然のことであると思ってしまうのです。
翔和学園の先生は、このような事例も隠さずに紹介して下さっています。
「IQ150以上の不登校の小学生がいました。」 「翔和学園に来たのですが、床に寝転がっているだけの日々が続きました。」
先生が「これやろうよ!」と声をかけても、「やだ」「こっちくるな」と言ってくるだけだったそうです。
この子のその後について、翔和学園の先生はこう述べています。
「IQが高くても、読み書きといった基礎学力がきちんとできない子がいます。」 「小学3~4年生までは、それでも成績はいいのですが・・・。」 「高学年になると、努力して勉強している子にどんどん追い抜かれてしまいます。」 「努力したり協力して解決するといった力が身についていないからです。」
得意な教科に力を入れた結果についても、包み隠さず教えて下さっています。
「ギフテッドクラスでは、子どもが興味のあるテーマに特化した学習を行いました。」 「子どもたちはIQが高くて弁が立つので、よどみなくプレゼンを行います。」 「相対性理論がどうのこうのと言えば、大人から拍手をもらって褒められます。」
ギフテッドクラスの子どもたちの話し方は大人びているのです。
これは、不登校の子どもの様子とも酷似しています。
「しかし、実は調べた資料に書いてあることや、YouTubeなどを通して聞きかじったことを暗記して話しているだけなんです。」 「本質的な理解をしていないことに気づいたのです。」
この記事を見たときに、私は自分の考えが正しかったことが証明されたと思いました。
静岡県にある不登校解決相談所が10年以上前から親御さんに伝えていたことと同じ事が書いてあったからです。
プレゼンを聞いた有識者からは下記のようなコメントをいただいたそうです。
「あくまで生徒の興味関心の範囲内の理解であり、その分野の基礎理解が弱い。」 「何かを続け理解を深めるということは、『自分って、色々、知っていてスゴイ!』『楽しい!』というものではありません。」 「むしろ、いかに自分がものを知らないのかをたたきつけられながら、自信やプライド等、諸々をへし折られながら、それでも謙虚にその場にい続けられた人だけが専門家になれるのです。」
これに対して、翔和学園の先生はこのように仰っています。
「IQの数字よりも、負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じぬく事、そして、土俵を間違えない事、本気でダメな時は全力で逃げることが大切だったのです。」 「学校教育とは、しつけも含め、子どもが将来、社会に出ていくための土台を作ることが重要だと思うのです。」 「IQが高い子どもを集めて、それぞれが好きなことだけを学んでも、土台を作ることはできないと判断しました」
これは、有識者でなくても大学で専門学科(教育学科ではなく専門教科の学科)を卒業した学校の先生であれば、気づいたり、感じていたことでしょう。
実際、私も教員生活の初期から不登校の子どもたちの大人びた発言に「実」がないことを感じ、親御さんに伝えていたのですがら。
東京大学で行われた「異才発掘プロジェクトROCKET」は、5年間で5億円をかけて行われました。
実はこの「異才発掘プロジェクトROCKET」に、私の教え子が参加しています。
しかし、私の教え子は不登校ではありません。
ただ、理解力が早く、努力も惜しまない子だったため、学校の授業内容に不満を持っていました。
私は学生時代に塾や家庭教師をしていたこともあり「学習」に関して柔軟な考えを持っているつもりです。
そのため、授業後半の問題演習の時間では「演習が終わった子は塾の問題集や自分の興味のある勉強をしてよい」という授業形態を取っていました。
この子との思い出の1つには授業中に「他教科のハイレベル問題を教えた」記憶があります。
ただ、「数学の授業中は数学!」「学校で塾の宿題をやるのはおかしい!」という感覚の先生がたくさんいらっしゃいます。
そのため、この子は不登校になっていなかったものの学校教育に不満を持っていたのです。
「学校になじめず不登校になっている子どもを支援しよう!」
中邑教授は、このような考えから日本財団より5年間5億円の資金を受けて「異才発掘プロジェクトROCKET」を発足しました。
ナチスのアウシュビッツ収容所を訪れたり、各界で活躍する人が講義をするなど、普通の学校ではなかなか体験できない授業がたくさんあったのです。
「未来のエジソンを育てよう!」 「将来の日本をリードしイノベーションをもたらす人材を養成する。」」
学校以外の多様な学びの場をつくることを目的としていた「異才発掘プロジェクトROCKET」のキャッチフレーズです。
中邑教授は「異才発掘プロジェクトROCKET」を始めたキッカケを、このように話しています。
「僕はこれまで障害がある子どもでもテクノロジーを使った学びで能力を伸ばすことができないかという研究をしてきました。」 「日本の学校は、一斉指導でみんなと同じ学びをしなければいけないという同調圧力が強いですよね。」 「障害の有無にかかわらず、学校からはみ出さざるを得ない子どもたちが、そうした学びを求めて僕の所に来ていました。」 「読み書きできない子にはパソコンを使って表現してもらったり、周りとコミュニケーションがとれない子とは一緒にアルバイトしてみたりといったことをしてきました。」
学校以外の場所で学ぶこともとても大切だと思います。
ただ、静岡県にある不登校解決相談所では、不登校を解決して学校に戻り、学校で学ぶことが大切だと考えています。
なぜなら、他の子と違った生き方にはメリットもありますがデメリットもあります。
そのデメリットをしっかりと理解して、学校以外のところで学ぶのであれば問題ないのですが・・・。
中邑教授は「異才発掘プロジェクトROCKET」が頓挫した理由をこう述べています。
「まずは不登校になっている子どもに声をかけ、埋もれた才能があるのではないかということで始めました。」 「ただ、不登校だけでなく、学校に通っているけれど勉強がつまらないとか、違和感を覚えている子どもたちも併せて支援しようと考え、『異才発掘プロジェクト』と名付けました。」 「ところが、『異才』という言葉が、特別な才能というふうに捉えられました。」
もし、「異才」という言葉を入れていなくても、「ギフテッド教育」として話題になっていたと思います。
さらには、「異才」の言葉がなければ5年で5億円もの資金を受け取れなかったでしょう。
「東大」「異才発掘」「不登校」「ギフテッド」というワードがあったからこそ、5億円の資金を受けることができたのです。
話題にならなければ、これほど資金を集めることは出来ないのが現実です。
最後に中邑教授はこのように仰っています。
「学校の教育になじまないけど、特別な才能があり志がある子どもを募るということで始めました。」 「頭のいい子はその後、東大に行ってアメリカの大学にも行ったりして。」 「でも、来てくれた子どもたちがギフテッドかどうかはわかりません。」 「意欲的な子どもは来ましたが、うちの子はそんなに優れていないと保護者が考えたり、能力はあるけど全然やる気がないという子たちは選ばれませんでした。」 「数には制限がありますから落とさざるを得なかったのです。」
中邑教授は「志」や「やる気」を選考基準に用いたことを「失敗」と言っています。
しかし、翔和学園の「ギフテッド教育の失敗」と合わせて考えると 「志」や「やる気」がない子を選んでいたら、もっと早く「異才発掘プロジェクトROCKET」は頓挫していたことでしょう。
なぜなら、能力があっても「やる気」や「継続」「努力」「我慢」がないと、才能は開花しないのです。
翔和学園の「ギフテッド教育」や東大の「異才発掘プロジェクトROCKET」から分かることは何でしょう?
「能力があっても、それを開花させるには、努力や継続、我慢が必要である。」
ただ、これは当たり前と言えば当たり前のことなのです。
昔の人はよく言ったもので、このようなことわざもあります。
「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人。」
このことわざにも様々な解釈があるでしょう。
そんな中、私はこのような解釈をしています。
「小さい頃、天才と言われても、正しい教育をしなければ凡人になってしまう。」
これは、翔和学園の「ギフテッド教育」や東大の「異才発掘プロジェクトROCKET」の失敗を表している言葉だと思ってしまいます。
「不登校のままでも大丈夫!」 「好きな事だけをやらせることで自分のやりたいことが見つかる!」 「やりたいことが見つかれば子どもは自分から動き出す!」
このように言うカウンセラーは多くいます。
また、映画「ビリギャル」を例えに出してこのように言うカウンセラーもいます。
「人間やる気になれば何でもできる!」 「勉強はいつ始めても遅くはない!」 「ビリギャルが良い例だ!」 「学年ビリの女の子が慶応大学に受かったんだ!」
しかし、これらの言葉は間違っています。
不登校のままで大丈夫という言葉を真に受け、30才になっても「やりたい事を探す」と言っている子どもの相談がありました。
→不登校の成功事例を読むときは「年齢」や「途中経過」「その後」を確認して!
ひきこもりの対応を行っている専門家は「不登校は義務教育までに解決して!」と言っています。
→「不登校は義務教育の時点で解決して欲しい!」ひきこもり支援団体の方の言葉!
そして、ビリギャルは中学校受験をして、私立の中高一貫の進学校に在籍していました。
→「やる気になれば何でもできる!」「勉強はいつ始めても遅くない!」はウソ!
ネットや本には、不登校の間違った対応があふれています。
さらには、カウンセラーや学校の先生も間違った対応を進めてきます。
もし、あなたのお子さんが不登校になってしまったら、不登校を解決した実績のある(実績が多い)専門家に相談をして下さい。
それでも、その専門家がネットや本に書いてあるような画一的な対応を言ってきたら・・・。
静岡県にある不登校解決相談所には、年間1000件以上の相談が全国(海外から)寄せられます。
さらには、10年で700人以上の不登校を解決してきた実績があります。
→まずは静岡にある不登校解決相談所の無料相談を! →全国から、相談の依頼をいただいております。
海外からの相談もいただくようになりました。 カナダ、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県、岩手県、福島県、宮城県、山梨県、愛知県、青森県、新潟県、石川県、福井県、富山県、長野県、岐阜県、大阪府、京都府、三重県、兵庫県、奈良県、島根県、岡山県、広島県、徳島県、高知県、愛媛県、佐賀県、宮崎県、大分県、熊本県、福岡県、沖縄県から不登校の相談をいただいております。
友だち追加(初回無料相談30分延長など)
24/11/11
24/11/04
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担当者の「あれは失敗だった」から学ぶ不登校の対応
1.東大のギフテッド教育が失敗したのを知っていますか?
2.「うちの子は他の子より大人びている。」は本当?
3.「あれはは挫折でした。」ギフテッド教育担当者
4.イヤな事から逃げるガンバれない不登校の子たち
5.得意は伸ば!苦手はそこそこ出来るように!
6.好きな事だけしかしなくなったギフテッドたち
7.IQ150以上でも基礎がなければ意味が無い!
8.調べた知識をまとめているダケで本質がない
9.好きな事だけを学んでも土台が作れない!
10.東大が行った5年5億円の大プロジェクト
11.「将来のエジソンを育てよう!」育ったの?
12.「学校以外でも学ぶことができる!」がキッカケ
13.プロジェクトが頓挫した理由は「異才」という言葉?
14.「志」や「やる気」があっても失敗したということは
15.能力を開花させるには努力や継続、我慢が必要!
16.好きな事だけで大丈夫?動き出す?
17.そろそろ対応を変えませんか?
1.東大のギフテッド教育が失敗したのを知っていますか?
不登校の子どもの中には「ギフテッド」と呼ばれる、IQが高い子どもたちがいます。
その子たちは、IQが高いことで学校になじめず不登校になってしまうと言われています。
そんな「ギフテッド」の教育に力をいれようとしたのが、東京大学による「異才発掘プロジェクトROCKET(2014)」とNPO法人翔和学園「ギフテッドクラス(2015」によるです。
※現在、東京大学のROCKETはLEARNと名前を変えて活動しています。
※ただし、以前との教育とは全く違う活動を行っています。
当時、どちらのプロジェクトも、発足当初は新聞やニュースを賑わしていました。
これにより、「不登校でも大丈夫」という考えが加速度的に広がったのは間違いありません。
実際、東京大学のROCKETを始めた中邑教授はこのように仰っています。
「それぞれが『変わっていていいんだよ』ということをやりたかった。」
「もちろん、ROCKETを通して、世間の不登校の子に対するマイナスイメージは、ある程度払拭することはできたと思っています。」
「人と違っていてもいい、という雰囲気は、つくれたと思います。」
しかし、どちらのプロジェクトも「失敗」に終わっていることをみなさんは知っていますでしょうか?
2.「うちの子は他の子より大人びている。」は本当?
「うちの子には学校というシステムが合っていないんです。」
「話す言葉も大人びているので、周りの子と合わないんだと思います。」
「クラスのみんなと勉強するのは苦手なんです。」
「自分の得意な教科を自分のペースで進めたいんです。」
「周りの子のペースに合わせるのがイヤなんです。」
この時期より、このように仰る不登校の親御さんが増えたのも事実です。
しかし、静岡県にある不登校解決相談所では、当時から今まで一貫して、このようにお伝えしています。
「大人びた発言はyoutubeの影響です。」
「もちろん、自分の好きな教科の知識を深く知っているのでしょう。」
「しかし、その知識や発言には実が伴っていません。」
「これでは、高校、大学に入ったときに困りますよ!」
「得意な教科を伸ばすのは結構ですが、勉強以外のことも学ばなければなりません。」
「我慢をする、コミュニケーション力を高める、相手の気持ちを察する、人をバカにしないなどが社会では必要です。」
「これらのスキルが得意になる必要はありません。」
「それでも、社会で生活できるレベルにしなければなりません。」
3.「あれはは挫折でした。」ギフテッド教育担当者
「あれは挫折でした。」
「私たちはもともと、障害者への差別をなくそうと闘ってきた。」
「しかし、結果的には私たち自身が子どもたちに差別意識をつくってしまいました。」
これはギフテッドクラスを運営していた翔和学園の担当者の言葉です。
その方は、このようにも言っていました。
「それまでの特別支援教育は欠点や苦手を克服しようという支援になりがちでした。」
「そうではなく、強みや能力を伸ばしていくことを目指そうということで『ギフテッド教育』を始めたのです」
自分の得意な部分を伸ばしていくという教育はとても大切なものだと、静岡県にある不登校解決相談所でも考えています。
ただ、不登校解決相談所では「苦手」についても最低限、社会で通用する程度には底上げをする必要があると考えています。
そのため、不登校の子どもの支援をするときには、得意なものを多く行う工夫をしながらも、苦手を克服する支援を行うのです。
4.イヤな事から逃げるガンバれない不登校の子たち
20年間の教員生活と10年間のカウンセラー生活の中で何千人という子どもたちを見てきました。
「ムリしなくていいよ!」
「イヤならやらなくていいよ!」
このように親や先生から言われてきた不登校の子どもたちがたくさんいます。
もちろん、この対応を行ったことで不登校が解決しているのであれば問題はありません。
しかし、30年の経験から、この対応で不登校が解決していない子がほとんどであることは分かっています。
この対応を受けた子どもたちの全員が完全不登校になっているわけではありません。
しかし、総じて「イヤな事」を避ける傾向にあるのは事実です。
そのため、4月から登校を始めたと思っても不登校に戻ってしまったり、修学旅行や運動会、合唱コンクールに参加したと思っても不登校に戻ってしまったりする子がほとんどなのです。
5.得意は伸ば!苦手はそこそこ出来るように!
「得意や好きを伸ばすようにしましょう!」
「苦手はそれなりの水準には引き上げましょう。」
不登校解決相談所の代表カウンセラーで公認心理師の私がよく使う言葉です。
これは、教員生活20年とカウンセラー生活10年の経験から出てきた言葉です。
実際、私の教員時代の教え子で不登校傾向の子どもがいました。
彼はADHDの特性を持っている子です。
不登校生徒として私のクラスにきた彼に対して、私は得意を伸ばす支援と苦手をそこそこにできる支援をしました。
彼の不登校は1ヶ月で解決し、それから卒業までの2年間は無遅刻、無欠席となります。
私は担任の2年間で学習面と生活面の両方で彼の得意を伸ばし、苦手の底上げをしました。
その結果、彼は英語と社会で70を超える偏差値を獲得することが出来ました。
※苦手な数学は偏差値40程度でした。
中学を卒業した彼は、私立の進学校に合格、その後、上智大学に合格することができたのです。
良くも悪くも高校1年生の時から、目標を私立大学一本に決めていたそうです。
→不登校を解決した親御さんからたくさんの「喜びの声」が寄せられています。
6.好きな事だけしかしなくなったギフテッドたち
翔和学園の先生の話ではギフテッドクラスの子どもたちは、このように言っていたそうです。
「俺たちは天才なんだから、障害のある子と一緒のことはしなくていい。」
これはギフテッドクラスを教えていた自分たちのせいでもあると言っています。
「教えるほうにも問題がありました。」
「君たちは天才なんだからと特別視し、高い知能を伸ばすことに力を入れてしまった。」
同様に保護者の考えも少しずつ変わっていったそうです。
「うちの子は発達障害ではなくギフテッドなんだ。」
このように思った親や教員は、「子どもの意思を尊重する」対応を取ってしまったようです。
これにより、子どもたちは「好きな事」だけしかしなくなります。
当然、ギフテッドの子どもたちは面倒なことをしなくなってしまいます。
これは、現在、主流になってしまった不登校の対応と結果に似ています。
「子どもの意志を尊重しましょう。」
「好きな事をして心のエネルギーを溜めましょう。」
このような対応をすることで、不登校の子どもたちは、面倒なことをしなくなったり、イヤな事を避けるようになったりします。
そして、それが当然のことであると思ってしまうのです。
7.IQ150以上でも基礎がなければ意味が無い!
翔和学園の先生は、このような事例も隠さずに紹介して下さっています。
「IQ150以上の不登校の小学生がいました。」
「翔和学園に来たのですが、床に寝転がっているだけの日々が続きました。」
先生が「これやろうよ!」と声をかけても、「やだ」「こっちくるな」と言ってくるだけだったそうです。
この子のその後について、翔和学園の先生はこう述べています。
「IQが高くても、読み書きといった基礎学力がきちんとできない子がいます。」
「小学3~4年生までは、それでも成績はいいのですが・・・。」
「高学年になると、努力して勉強している子にどんどん追い抜かれてしまいます。」
「努力したり協力して解決するといった力が身についていないからです。」
8.調べた知識をまとめているダケで本質がない
得意な教科に力を入れた結果についても、包み隠さず教えて下さっています。
「ギフテッドクラスでは、子どもが興味のあるテーマに特化した学習を行いました。」
「子どもたちはIQが高くて弁が立つので、よどみなくプレゼンを行います。」
「相対性理論がどうのこうのと言えば、大人から拍手をもらって褒められます。」
ギフテッドクラスの子どもたちの話し方は大人びているのです。
これは、不登校の子どもの様子とも酷似しています。
「しかし、実は調べた資料に書いてあることや、YouTubeなどを通して聞きかじったことを暗記して話しているだけなんです。」
「本質的な理解をしていないことに気づいたのです。」
この記事を見たときに、私は自分の考えが正しかったことが証明されたと思いました。
静岡県にある不登校解決相談所が10年以上前から親御さんに伝えていたことと同じ事が書いてあったからです。
9.好きな事だけを学んでも土台が作れない!
プレゼンを聞いた有識者からは下記のようなコメントをいただいたそうです。
「あくまで生徒の興味関心の範囲内の理解であり、その分野の基礎理解が弱い。」
「何かを続け理解を深めるということは、『自分って、色々、知っていてスゴイ!』『楽しい!』というものではありません。」
「むしろ、いかに自分がものを知らないのかをたたきつけられながら、自信やプライド等、諸々をへし折られながら、それでも謙虚にその場にい続けられた人だけが専門家になれるのです。」
これに対して、翔和学園の先生はこのように仰っています。
「IQの数字よりも、負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じぬく事、そして、土俵を間違えない事、本気でダメな時は全力で逃げることが大切だったのです。」
「学校教育とは、しつけも含め、子どもが将来、社会に出ていくための土台を作ることが重要だと思うのです。」
「IQが高い子どもを集めて、それぞれが好きなことだけを学んでも、土台を作ることはできないと判断しました」
これは、有識者でなくても大学で専門学科(教育学科ではなく専門教科の学科)を卒業した学校の先生であれば、気づいたり、感じていたことでしょう。
実際、私も教員生活の初期から不登校の子どもたちの大人びた発言に「実」がないことを感じ、親御さんに伝えていたのですがら。
10.東大が行った5年5億円の大プロジェクト
東京大学で行われた「異才発掘プロジェクトROCKET」は、5年間で5億円をかけて行われました。
実はこの「異才発掘プロジェクトROCKET」に、私の教え子が参加しています。
しかし、私の教え子は不登校ではありません。
ただ、理解力が早く、努力も惜しまない子だったため、学校の授業内容に不満を持っていました。
私は学生時代に塾や家庭教師をしていたこともあり「学習」に関して柔軟な考えを持っているつもりです。
そのため、授業後半の問題演習の時間では「演習が終わった子は塾の問題集や自分の興味のある勉強をしてよい」という授業形態を取っていました。
この子との思い出の1つには授業中に「他教科のハイレベル問題を教えた」記憶があります。
ただ、「数学の授業中は数学!」「学校で塾の宿題をやるのはおかしい!」という感覚の先生がたくさんいらっしゃいます。
そのため、この子は不登校になっていなかったものの学校教育に不満を持っていたのです。
11.「将来のエジソンを育てよう!」育ったの?
「学校になじめず不登校になっている子どもを支援しよう!」
中邑教授は、このような考えから日本財団より5年間5億円の資金を受けて「異才発掘プロジェクトROCKET」を発足しました。
ナチスのアウシュビッツ収容所を訪れたり、各界で活躍する人が講義をするなど、普通の学校ではなかなか体験できない授業がたくさんあったのです。
「未来のエジソンを育てよう!」
「将来の日本をリードしイノベーションをもたらす人材を養成する。」」
学校以外の多様な学びの場をつくることを目的としていた「異才発掘プロジェクトROCKET」のキャッチフレーズです。
12.「学校以外でも学ぶことができる!」がキッカケ
中邑教授は「異才発掘プロジェクトROCKET」を始めたキッカケを、このように話しています。
「僕はこれまで障害がある子どもでもテクノロジーを使った学びで能力を伸ばすことができないかという研究をしてきました。」
「日本の学校は、一斉指導でみんなと同じ学びをしなければいけないという同調圧力が強いですよね。」
「障害の有無にかかわらず、学校からはみ出さざるを得ない子どもたちが、そうした学びを求めて僕の所に来ていました。」
「読み書きできない子にはパソコンを使って表現してもらったり、周りとコミュニケーションがとれない子とは一緒にアルバイトしてみたりといったことをしてきました。」
学校以外の場所で学ぶこともとても大切だと思います。
ただ、静岡県にある不登校解決相談所では、不登校を解決して学校に戻り、学校で学ぶことが大切だと考えています。
なぜなら、他の子と違った生き方にはメリットもありますがデメリットもあります。
そのデメリットをしっかりと理解して、学校以外のところで学ぶのであれば問題ないのですが・・・。
13.プロジェクトが頓挫した理由は「異才」という言葉?
中邑教授は「異才発掘プロジェクトROCKET」が頓挫した理由をこう述べています。
「まずは不登校になっている子どもに声をかけ、埋もれた才能があるのではないかということで始めました。」
「ただ、不登校だけでなく、学校に通っているけれど勉強がつまらないとか、違和感を覚えている子どもたちも併せて支援しようと考え、『異才発掘プロジェクト』と名付けました。」
「ところが、『異才』という言葉が、特別な才能というふうに捉えられました。」
もし、「異才」という言葉を入れていなくても、「ギフテッド教育」として話題になっていたと思います。
さらには、「異才」の言葉がなければ5年で5億円もの資金を受け取れなかったでしょう。
「東大」「異才発掘」「不登校」「ギフテッド」というワードがあったからこそ、5億円の資金を受けることができたのです。
話題にならなければ、これほど資金を集めることは出来ないのが現実です。
14.「志」や「やる気」があっても失敗したということは
最後に中邑教授はこのように仰っています。
「学校の教育になじまないけど、特別な才能があり志がある子どもを募るということで始めました。」
「頭のいい子はその後、東大に行ってアメリカの大学にも行ったりして。」
「でも、来てくれた子どもたちがギフテッドかどうかはわかりません。」
「意欲的な子どもは来ましたが、うちの子はそんなに優れていないと保護者が考えたり、能力はあるけど全然やる気がないという子たちは選ばれませんでした。」
「数には制限がありますから落とさざるを得なかったのです。」
中邑教授は「志」や「やる気」を選考基準に用いたことを「失敗」と言っています。
しかし、翔和学園の「ギフテッド教育の失敗」と合わせて考えると 「志」や「やる気」がない子を選んでいたら、もっと早く「異才発掘プロジェクトROCKET」は頓挫していたことでしょう。
なぜなら、能力があっても「やる気」や「継続」「努力」「我慢」がないと、才能は開花しないのです。
15.能力を開花させるには努力や継続、我慢が必要!
翔和学園の「ギフテッド教育」や東大の「異才発掘プロジェクトROCKET」から分かることは何でしょう?
「能力があっても、それを開花させるには、努力や継続、我慢が必要である。」
ただ、これは当たり前と言えば当たり前のことなのです。
昔の人はよく言ったもので、このようなことわざもあります。
「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人。」
このことわざにも様々な解釈があるでしょう。
そんな中、私はこのような解釈をしています。
「小さい頃、天才と言われても、正しい教育をしなければ凡人になってしまう。」
これは、翔和学園の「ギフテッド教育」や東大の「異才発掘プロジェクトROCKET」の失敗を表している言葉だと思ってしまいます。
16.好きな事だけで大丈夫?動き出す?
「不登校のままでも大丈夫!」
「好きな事だけをやらせることで自分のやりたいことが見つかる!」
「やりたいことが見つかれば子どもは自分から動き出す!」
このように言うカウンセラーは多くいます。
また、映画「ビリギャル」を例えに出してこのように言うカウンセラーもいます。
「人間やる気になれば何でもできる!」
「勉強はいつ始めても遅くはない!」
「ビリギャルが良い例だ!」
「学年ビリの女の子が慶応大学に受かったんだ!」
しかし、これらの言葉は間違っています。
17.そろそろ対応を変えませんか?
不登校のままで大丈夫という言葉を真に受け、30才になっても「やりたい事を探す」と言っている子どもの相談がありました。
→不登校の成功事例を読むときは「年齢」や「途中経過」「その後」を確認して!
ひきこもりの対応を行っている専門家は「不登校は義務教育までに解決して!」と言っています。
→「不登校は義務教育の時点で解決して欲しい!」ひきこもり支援団体の方の言葉!
そして、ビリギャルは中学校受験をして、私立の中高一貫の進学校に在籍していました。
→「やる気になれば何でもできる!」「勉強はいつ始めても遅くない!」はウソ!
ネットや本には、不登校の間違った対応があふれています。
さらには、カウンセラーや学校の先生も間違った対応を進めてきます。
もし、あなたのお子さんが不登校になってしまったら、不登校を解決した実績のある(実績が多い)専門家に相談をして下さい。
それでも、その専門家がネットや本に書いてあるような画一的な対応を言ってきたら・・・。
静岡県にある不登校解決相談所には、年間1000件以上の相談が全国(海外から)寄せられます。
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海外からの相談もいただくようになりました。
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